
KAIDO WALK
-購買体験-


3つの体験で
購買が楽しめます。
1)RPGが楽しめる。
成長をした方・経営者の経験がRPGになってますので、追体験し、新しい視点を手に入れることができます。

2)素材を組み合わせて街道RPGを作れる。

3)必要な部品を購入して1RPGを完成させる。
下記の3つを購入できます。
3Dアセット

3Dアバター

3D日本地図


BRAND HISTORY

これは約11年に
渡る実際の夢物語だ。
2014年以来の夢だった『博物館体験』を作る。が叶うまでの約11年に渡る夢を一部切り取ってお伝えする。
【2022年11月。僕はオーストラリアから帰ってきた。】

2023年の夏は暑かった!
栃木のおもちゃミュージアム、群馬の小麦粉ミュージアムへ行き
僕は日本とオーストラリアのミュージアムの違いに愕然とする。
そして2つの発見をする。 1つは、ガイドと企画が完全に分離している事。オーストラリアでは一体だった。
だから、外国人の僕が見ても面白かった!丁寧に案内してくれたし、自分の展示にみんなプライドを持っていた。
でも日本はそうじゃない。完全分離していて、だれも説明してくれない。それが悲しかった。
もう一つは表面と裏面の発見だ。
この発見が僕を経営者の道へと誘うことになる。
ミュージアムは表面であり裏面には工場が必ずあるという事実に。
僕は、そこから『自社工場を作りたい!』という情熱も持つようになる。
自社工場が出来上がるということは、ミュージアムを築く事と同じ意味を持つことになるからだ。
自社工場という原因の結果がミュージアムだからだ。この事実さえわかればやることは1つ。
工場作りだけだ!!!
僕は燃えた。沢山の人に博物館の3階建ての企画書を見てもらった。
撮影した360°写真や画像を沢山の人に見せた。
みんな応援してくれた。
でもすぐに具体的な形にできたわけではなかったんだ。
【2023年11月。不思議なご縁からメタバースに出会う。】

ルイヴィトンの展示会を見た2014年から
思えば、僕の情熱の対象はいつだって博物館だった!
ホームページでもダメだった。ワードプレスでもダメだった。
それでもどうしても作りたかったし、諦めきれなかった僕は、
メタバースではどうだろう?とお金を払って学ぶことになる。
blenderは僕にとって最高のツールだった。
イメージしたものがすぐに形にできる3Dの技術だった。
Unityは僕には難しすぎて、何度も何度も勉強した。
特に背景設置が難しかった。
でも、日本は歴史大国で森林面積が77%もあり、これらをコンテンツ化して
表現できると分かればワクワクした。僕のキャリアはいつだって最高だ。
ワクワクは止まらなかった。
【人は自分の望みを正確に知り得ない。だから祈る。BY平安時代の祈祷師】
2024年1月トンだ思い違いをしている事に気が付く。
博物館とは『記憶をインストールすることができる場所だ』
それはコーチングを完全に無料自動化するものだ。

でも、これってオンラインだとふさわしい形ではないのでは?
疑惑は確信に変わる。3Dの空間は確かに作ることができる。確かに展示ができる。
でも、なんかイメージが違う。これだとダイレクトに記憶を入れ替えることができないのだ!
絶望した。
オンラインの限界があるのか?
それとも根本的に何か間違っているのだろうか?
このレベルなら、コーチングの方がよっぽど優れている!僕が創りたいのは『記憶をインストールさせる』
という人間本来の機能を覚醒させる国立民俗博物館のような密度の濃いものなのだ。
これだったら、ごみ箱行きだ。これを見てもきっと誰も喜んでくれないだろう。
でも僕は知っている。
後ろを振り返れば、いつだってやりたい事・楽しいことで満たされており、いつだって諦めなければ必ず叶うことを経験として僕は知っている。原理としてすべての祈りは叶えられるものだからだ。
ひとまずメタバースを売ることにした。
2024年3月だったろうか。初めて2~30万で売れることになった。
この販売形式は20メタバースを達成することになる。
【2025年07/18 キャリアパス制度が架け橋になる。】

2024年11月。2つの転機がやってくる。
1つはゲームプロジェクトの仲間が集まったこと。2つ目はメタバースが子供の頃の夢である『漫画家』と繋がっている事。
この運命の11月を境にKAGDO WALKというゲーム作りを進めていく。
長年の課題が2つあった。

1つは前述のオンラインの壁だ。
これはエンターテイメントであるゲームになれば良い。博物館ではなく『博物館体験』にする事が必要だった!貧しい人にも教養がない人にもこれなら届ける事ができる。
2つ目は、コーチングの方がメタバースより圧倒的に大きいって事だ。年数が違うから無理もない。
念願だった成長のキャリアパス制度が作られて、
コーチングでやりたい事がひと段落して組織化に入ろうとしていた。
クライアントに手伝ってもらう為のミッション、ビジョン、バリュー作りにめちゃくちゃ苦戦していた。
そんな時、埼玉県久喜のコワーキングスペース付近を歩いていて、ふと気付く。
(俺って何がしたかったんだっけ?本当にコーチングカンパニーが作りたいのか?)
違うだろ。

物語・キャラクター・自然法則・成長を集めて、編集、販売。
どれもずっと、褒められなくても、金にならなくてもやってきた事なんだ。
そうしてビジョンは400の宿場町、150の街道をメタで作る事になり、ミッションは1ホンライ1メタバースになった。
7/15。成長のキャリアパス制度の仕上げをしていた大宮のスタバにて、
駅で人を見下ろしながら制度の2/4を仕上げた時。
ここで気付く。
(この制度があれば、コーチングをメタバースに移行できるぞ…。)
こうしてようやくコーチングからメタバースへ移行を仮完了出来ることに気が付いたのだった。
【閉業を決意。体系化された資料を渡す。】
最高のキャリアだった。本当にそう思った・・・。
2025年09月。僕は体力の限界、不眠症、皮膚病、脂肪肝…。突如、徐々に未来が閉ざされる感覚に襲われ、悲しみに暮れていた。僕にできることはもうなにもない。そう感じ、クライアントの女性にすべての経験を渡すことにした。すごくさっぱりした気持だった。何一つ公開していない。

悲しみを通して魂に至れ
まさにピッタリな言葉だ。
ナポレオンヒルの言葉を引用する事をお許し頂きたい。
2024〜5年以上にタフな年はなかったように思う。
生命の危機を、何度も感じた。
目の前が真っ暗になったし、当然売上も下がり、
働けなくなった。散々馬鹿にされた。嘘つきだと揶揄もされた。
視界が暗くなり、やりたい事が出来なくなる…。
大好きな仕事も手放さなくてはならないのが辛かった。

悲しみが襲ってくる。
悲しむという事がこれほど人間らしさを取り戻すことになるとは
その時の当人は思いもしないはずだ。
魂が還る体験は、サイコパスを人間に戻してくれて、人への感情理解を頭ではなく身体から染み込ませてくれる。
これではダメだと悟り、閉業を決意する。まだ30代なので2社中途採用が決まり、準備をした。
コーチングを学んでくれていた一番若い女性に体系化されたすべてを渡して、次の準備を進める
いろんなことが蘇った。いろんなことが合ったけど、何一つ悔いはない。やり切った良いキャリアだった。

まさか、これが転機になるとは露とも知らず、当時は絶望感でいっぱいだった。
2025年09月20日。 シャワーを浴びながら、あることに気付く。
僕がやったように、経験を認識に変換する場所がKAIDO WALKなんじゃないか?
あれ・・・。これって今『体系化された経験を物語にして伝えていければ、認識をインストールできるんじゃない?』
ぼくがやったように、『認識を遺伝』させることができるんなら、KAIDO WALKは仕事を果たしたことになるんじゃないの?と。
引き継ぎしたからこそ、街道ウォークのコンセプトは完成した。
意思を継いでもらう事など、健康で、未来が見えていたなら思いつきすらしなかっただろう。腹の中で馬鹿にしていたに違いないのだ。
未来に絶望し、不健康で、
自分1人では無理だと強制的に悟らされる事がなければ『1人でなんとかなるはずだ』という癖は変えられなかったように思う。

悲しみは、僕を『皆んなで作る』『チームを持つ』『誰かに引き継ぐ大切さ』を教えてくれた。
結果、街道ウォークのコンセプト『経験を追体験するPRG』は出来上がった。

開業当時。作っていたロゴ。拙さが残る。
潜在意識はその頃から、1つの方向をずっと指し示していた。
昔のロゴを思い返した。当時はコーチングのことで頭がいっぱいだったのに、何故か二重らせんのDNAをロゴにしていたのだ。この謎は悲しみを経て、街道ウォークのコンセプトを作る過程で解けたのである。

博物館体験の意味も、キャリアメタバースと博物館体験の繋がりも急に解け始めた。つまり僕は、『経験を追体験させ認識に組み込む』事をしたかったらしい。それはRPGを1つ完成させる事で帰結するんだと潜在意識はずっと言っていた!やっとコンセプトが完了したのだ!